2003~2020年度の川崎医科大学衛生学の記録 ➡ その後はウェブ版「雲心月性」です。

「夏草の線路 by 遊佐未森」を聴いた夏

2005.9.30.

2005年度も,9月末日,本日で半分が終了です。

今年の夏は,兵庫医大の検体を頂戴することや,阪大森本教授と積水ハウスとの共同研究の関連で,何故か,朝早く中庄駅から鈍行に乗って,相生や姫路まで,比較的,農村部をゆっくりと走る電車に,頻繁に乗りました。そして,緑深い,それほど高い山でもないのですが,車窓に見える山々の連なりとその遠方の碧い夏空,そして湧き上がるような雲々を,見るともなく眺めた後に,ふと目線を落とすと,小さな駅舎からの出発に合わせて,引込み線のレールが見えるのですが,そこはおそらく殆ど電車もトロッコも通ってないだろうってことを物語るように,夏草が一杯です。遊佐未森の名曲に「夏草の線路」ってのがあって(1990/3/31発売),出だしは「夏草に埋もれた線路は 錆びた陽射しを集めて 立ち止まる踵を 知らない町に誘うよ」っていう感じです。その景色を見ただけで,僕の中にはそのメロディーが溢れ,そして,そこには,夏草が伸び放題になるまでの線路の持つ,それはある意味で,その舞台に内包されるような里山に近い古びた駅舎に象徴される原風景から,それでも,自らが,相当遠ざかってしまったかも知れないという想いを誘う郷愁であったり哀切であったり,そういうものが,湧き出てくるのです。

それは,懐かしい明瞭でない昔の出会いの風景でもあり,それなのに今は,こうやって電車に乗って,しかし,硝子一枚で隔てられてしまって,衝動的に飛び降りることも出来ない,その伸び放題の夏草の緑の肌触りが伝わってこないところに,自らが居ざるを得ないことを,認めてしまうようなそこはかとない寂寥にも似た想いでもあるのです。

今は,哀切を帯びた郷愁よりも,眼前の仕事に対して真摯に取り組まなければならないことは,判っています。しかし「夏草の線路」のメロディが脳裏を駆け巡る時に,いきなり列車を飛び降りて,夏の匂いを最大限に放散しているようなその線路の夏草の中に寝転がり,ただひたすらに濃く青い空と,横切っていく厚めの雲を眺めていたい・・・・という衝動もまた真実なのでしょうね。

今年の夏は,結局,「遊佐未森」をはじめ,「鈴木祥子」の90年前後の曲,そして,太田裕美の1975年から最初の数年の曲,また,最近の曲を列車の中でよく聴きました。それも,殆ど,切ない夏を詠んだ歌詞ばかり。太田裕美の最高の名盤「こけてぃっしゅ」の1曲目を飾る「夏風通信」。あぁ,昔の曲ばかりに感動しては居られないとは思うのですが,やはり,気持ちが静かに熱くなれるのは,自分自身が青春だった時期に聞いた曲なのかしら,とも,思ってみたりもして。

まぁ,そんなこんなで今年の夏は,出る事が多かったのと,その中に,哀切な郷愁が湧き上がったことがイメージとして貴重にしかししっかりと刻まれてしまった印象です。

しかし,もう初秋というのは,暑い日ですが,それでも,暦は10月に入ります。

半年経って,今年度を少し振り返ると・・・・。

      ※      ※      ※      ※

今年度は,講師として西村先生が兵庫医大環境予防医学(旧衛生学)より赴任してくださいました。昨年度後半から,勉強会を一緒にしたり,研究交流会をしたり,アスベスト会議で出逢ったりしていく中で,井口教授ともお話させていただきながら,移籍のような形で,来てもらいました。元々,老化マウスの免疫系の仕事などを,中心にされてきて,兵庫医大では,アスベスト関連の仕事も平行して,という状況だったようで,僕らの教室にも新しい風を吹かせてくれてます。

なにせ,京都生まれで京都育ち(大槻の京都府福知山市生まれて15まで福知山(間に舞鶴で5年)~~つまり,丹波の山猿!ってことか・・・とは数段違う生粋!)で,直前3年が西宮っていう,まぁ,関西人です。また,話し方は,「つんく♂」そっくりで,顔も??? って感じなので,それだけでも(勿論,学術的にもそうなのですが)十分に,新風です。

公衆衛生学の勝山先生は,Journal club なども一緒にしてますけど,やはり,勝山先生も関西人なので,西村先生が来て,どっちもがまな板から水槽に逃げ出して水を得た魚状態になっていて,いやはや,倉敷人既に,延べ34年の大槻には,付いていけなくもなってきてますけど。

西村先生には,アスベストや珪酸の免疫系への影響の中で,これまで手付かずだった部分も含めて,努力してもらおうって思ってます。既に,今年の日本免疫毒性学会では,大会賞まで取っちゃったりで(兵庫の仕事のまとめになったので,よかったですが),もう既に何年も居るかのように,頑張ってくれてます。サンダルの peta-peta と,大きな笑い声で,一聴で分かる彼の存在もなかなかどうして,うちには充分な即戦力で,期待しております。

       ※      ※      ※      ※

そういう出会いがあるかと思えば,補助員さんの畑田さんは,10/1より分子生物学に移動になりました。

大槻としましては,畑田さんがその能力を充分に発揮できる実験なり環境を整えることが出来なかったようで,忸怩たる想いもありますが,しかし,移動によってより彼女の力が有効に研究に役立つなら,その方が良いでしょうし,僕の力では,その状況を作り出すのにも,もっと時間も掛かっただろうし,と,思いますと,今回の移動はそれはそれで良かったのでは,と,最終的に判断します。

本当に,僕にもう少し余裕があったり,思いの他出てばっかりの夏でなければ,少し場面は違っていたのかも知れませんが,でも,この状況は,きっと彼女の生活にはプラスなのだろうって,羽を伸ばして,仕事を出来る処で,立ち位置を見つけるってことが大切だろうから,よし,1年半と,最近の「衛生学」では,短い期間でしたけれど,「ありがとうございました」という言葉で送って,今後のご活躍を祈りたい,と,想います。

      ※      ※      ※      ※

さて,一夜明ければ10月で,確かに朝のスクーターは寒くなってきています。

そして,現在の陣容で,それでも仕事! 仕事ですね。昨年から今年にかけての成果を今幾つかまとめていますし,今から次年度に向けての仕事も進みつつあります。自分に厳しく! 鞭打って,気持ちを奮い立たせて,工夫して,ひらめいて,誰かの考え付かない何かを探してみたいし,でも,結果を正直に見つめる中から,新たなヒラメキが突然浮かび上がるものでしょうし。

さて,頑張ります。夏草の郷愁は,気持ちの引き出しに,もう,しまっておくことにします。そして,郷愁にも打ち勝てるように頑張りましょう。


【追記;梨木香歩さんの「沼地のある森を抜けて」という最新刊,「りかさん」や「からくりからくさ」の頃にない(春先のエッセイ集「ぐるりのこと」辺りからどこか脱皮というか,驀進中って感じですが),勿論,それらもそれこそ哀切なる郷愁と和みの中の人生の喜びを伝えてくれていましたけれど,なんだか飛びぬけた面白さの,そして,それは奥深い,人としての哀切なる郷愁の小説でした。感動しました。】